第1話「私の目に映る姿」
誰の姉かって?
そんなことはどうでもいい。
私は姉が好きだった。
とても優しい人だった。
世話好きで、面倒見が良く、近所の子供たちともよく遊んであげていた。
姉はいじめを許さなかったし、いじめの場面に出くわしたら、たとえ相手が男であろうとも、上級生であろうとも、決してひるまない。
どんな敵にも必ず立ち向かう、姉はスーパーヒーローだったのだ。
でも、喧嘩が強かったわけではなかった。
だから、いつも返り討ち。
結局、いじめの対象が姉に変わっただけ。
そして、姉へのいじめがエスカレートする度に、私たち家族は引っ越して、私と姉は何度も転校を繰り返した。
またか、と思うことはあったけど、それでもひるまない姉が、私は大好きだった。
私の両親は、気弱だけど子供思い。
だから、決して裕福だったわけではないけど、姉へのいじめが酷くなる度に、家を引っ越して、あちこちに転校した。
姉は、そんな両親とは対照的に気が強かったから、全然平気と言い張っていたっけ。
でも、全然大丈夫じゃなかった。
朝に新品で持っていったものは、夕方には壊れて帰ってくる。
当然も巻き添えを食って、転校三昧の学生時代を送った。
そんな私を不憫に思って、姉は何度も私に謝った。
そして、両親も私に謝った。
「不甲斐ない親で申し訳ない」
たしかにその通りだ。何千・何万と繰り返される
「ごめんなさい」
に代えて、ただの一度でも、外に怒りを飛ばすことができていれば、姉だって、いじめられっぱなしの人生にはならなかったはずだ。
姉は美人だし、それも嫌みのない美人、男受けも女受けもよかったはず・・・
どうして、誰にも歯向かわない「無抵抗精神」を、姉は親から受け継ぐことができなかったのだろう。
その遺伝子は、すべて私の方に吸収されてしまったのかも知れない。
そう思うと、姉の方こそ不憫だ。
でも、そういうところも含めて、私は姉が好き。
こんなこともあったな。
ある転校初日、姉が入るクラスでもいじめがあったらしく、そのいじめられっ子は、今にも死を選びそうなくらい、精神的に追い詰められていた。
そんな彼女が、ある一大決心をしたのだ。
つまり、自殺する前に、いじめっ子を刃物で刺してやろう、と。
そして、偶然にも、その子の決心と姉の転校初日が重なった。
いじめられっ子が反撃に出たのは、休み時間の教室。
先生のいないタイミングを見計らって、いじめられっ子はいじめっ子に刃物を突き出した。
いじめに敏感な姉は、その気配をすでに察知していたらしく、いじめっ子をかばう形で、刃物を受け止めた。
刃物はいじめっ子には刺さらず、姉の手を真っ赤に染めた。
その後、姉は震えるいじめられっ子を抱きしめて、こういったんだって。
「あなたが人殺しにならなくて良かった」
もちろん、姉は武勇伝みたいにそんな自分語りをしないから、私はこの話を直接聞いたわけじゃない。
ただ、そんなことがあった日の夜、事情を説明しに家に来た担任と、私の両親との会話を盗み聞きしただけ。
担任も両親も、そして私も、姉の強さに感心するしかなかった。
姉は本当に優しいし、そして強い。
姉は、私にとってのスーパーヒーローなのだ。
それは、そのいじめられっ子にとっても同じだった。
でも、そのいじめられっ子の起こした事の重大さから、仕方なく、そのいじめられっ子は、転校することになった。
だから、私はその子との面識はないけど、その子の親が、引っ越し直前に家に来て、
「あなたの娘様のおかげで、私の娘も生まれ変わったみたい。なんというか、強くなったのよ。本当に感謝しています」
と、深々頭を下げていたことを覚えている。
今でも元気にしているといいなぁ…
神さま、今回の事件のこと、あの子にだけは知らせないで。
姉はいじめられっ子だったけど、勇敢だったから、同学生以外には良く慕われていた。
特に、近所の子たちにとっては、ヒーロー的な存在だった。
姉を慕っていたのは、近所の子たちだけじゃない。
殺された知人だってその一人。
しかも、その知人は、姉からもっとも頼りにされていた。
二人は親友だったの。
姉は、転校する度に親友を作っていたから、普通の人より親友の数も多いけど、その中でも特別だったみたい。
じゃあ、なぜ姉は親友を殺したのかだって?
そんなことはどうでもいい。
二人は親友だった。
私と殺された知人との出会いは、私が新卒で入った会社。
彼女は私の上司だった。
まさか、その上司が姉と親友だったなんて、思いもしなかったから驚いた。
もちろん、その上司の方も驚いていた。
「哲田さん?ここらへんじゃ、珍しい名字ね。でも、私の知り合いにも哲田さんという子がいるんだ。その子は私の親友でもあって、恩人でもある。私のスーパーヒーローなのよ。いじめられていた私を救ってくれたの」
いじめられっ子を救う哲田さん、それは間違いなく、私の姉だった。
「その人ってもしかして、哲田哲代さんですか?」
返事を聞くまでもなかった。
そんなもんだから、彼女は本当に良く私の面倒を見てくれた。
セクハラ上司は蹴散らしてくれるし、理不尽なクレームが入っても、彼女がかばってくれる。
彼女がいなかったら、私の方こそ死んでいたかも知れない。
とにかく、彼女のおかげで頑張れた。
あまりにも優しくしてくれるから、姉は一体どれほどの恩を売ったのだろうか?と気になって、私は何度も姉とのエピソードを聞こうとした。
でも、毎回はぐらかされて、それもついに聞けず仕舞い。
いつからだったか、詳しくは知らない。
だけど、あの時にはすでに、姉はシングルマザーになっていたよね。
正直いうと、私は最初から、あの男との結婚は反対だった。
今さらこんなこといっても…それは分かっているけど、でも、もっと強く反対しておくべきだった。
もちろん、忠告をしなかったわけではない。私なりに忠告はした。
「あいつはDVするタイプの男だよ」
私は姉と違って、いじめられることもなければ、そこそこモテてもいたから、男性経験は豊富な方だった。だから、DVする男性ぐらい、雰囲気である程度見抜くことができる。
でも、あの男に関しては、私じゃなくたって分かるぐらい、危ない雰囲気を纏っていたよ。
まぁ、姉からしたら、そういう人ほど放っておけないのかも知れないけど。
親も心配はしていた。
ただ、相手の職業が刑務官だったということもあり、見た目がいかついだけで、中身はちゃんとした男だろう、そう信じることにしたらしい。
二人の結婚を許した。
相手の両親は既に他界しており、親戚付き合いも丸っきりないということなので、結婚式は私たちの親族だけが参列した。
交通事故で両親を亡くして以来、孤児院で育ったらしい。
ヤクザみたいないかつい風貌の陰には、それなりの苦労があったのだろう。
そう考えると、彼も本当は悪いやつではないのかも知れない。
その時は、そういう風にも思えた。
姉があの男と離婚した後も、姉はあまりにも楽しそうに振る舞うし、何より、姉は強い人だから、私はちっとも気付かなかった。
そんなに思い詰めていたなんて…
でも、みんなにとっては、そんなことどうでもいいよね。
そんなことに誰も興味を持たない。
人殺しに、人殺し以上の価値なんてないんでしょ?
すべては自己責任、これで終わっちゃうのよね。
食事さえ満足に用意出来ない母子家庭、そこにあったのは、やがて引き離される運命にある親子。
それはとても冷ややかな目で見られる、哀れな姉でした。
―なんで虐待なんてするのかしら?
―どうせ、ろくな育ち方してないのよ
―母親失格ね
―旦那さんはいないのかしら?
―きっと、あばずれ女なのよ
そうやって、ご近所さんから陰口をたたかれる、哀れな姉。
でも、実際のところ、そんなことはどうだっていい。
わが国の虐待の定義が、二人にとって残酷だった、ただそれだけの話。
子供に満足な食事を与えてやれない、これが虐待の事実なの。
姉はわが子を愛していた。
虚実を交えた報道は、真実ではないが、嘘でもない。
だから、それは事実として広まる。
「あそこの子供さんは、可哀想に・・・すごく痩せ細っていてね。それに、よく怪我をしていたし…みんな噂していたよ、虐待されているんじゃないかって。」
そうやって、のうのうとテレビに映りたがるご近所さんたち。
ヒーローインタビューでも受けている気分かしら。
私はテレビに出た、なんて自慢でもするつもり?
噂はするくせに、誰も助けようとはしなかった。
でも、誰もそのことを疑問には思わない。
そして、誰もそのことを責めはしない。
だって、みんな大好き自己責任社会だもの。
悪いのは当事者だけ…
ねぇ、当事者って誰?
当事者って何?
関係者と無関係者の境界を、あなたは見たことがあるの?
ついでにいっておくと、子供の怪我の原因は、家庭内での虐待じゃなくて、学校でのいじめだ。
学校ぐるみの隠蔽が、よほど秀逸だったのか、その事実は世間に知られていない。
「いつか殺ると思っていた」
こんなことをいうやつもいる。
こいつらは大抵、『〇学時代の同級生』というネームプレートを掲げて、念願のテレビデビューを果たす。
いつか殺ることを予知していた、それはすごい、君は超能力者かい?
それじゃあ、なぜ君はその殺人事件を未然に防ごうとはしなかった?
否、この問いは正しくないね、いくらでもいい逃れができてしまう。
問い直そう、なぜ、彼女を救えなかった分際で、堂々とテレビの前に出られるのか?
まるで他人事みたいに、君たちはインタビューに答えているが、君たちも当事者ではないのかい?
君たちが当事者でないなら、当事者なんて言葉はこの世に必要ないよ…
でも、私は君たちに、当事者意識が芽生えることなんて期待しちゃいない。
君たちの本心は、姉のことなんてどうでも良かった、そうでしょ。
徹底的な無関心に、小火が点いただけ。
誰も本当には姉のことを知らなかったし、誰も姉のことを知ろうとはしない。
だから、みんなの目には陰りなく、犯罪者の姿が見える。
ねぇ教えて、私には見えないの、犯罪者はどこにいるの。
私が見たいのは犯罪者、それなのに…
それなのになんで、私には姉が見えるの?
姉の姿なんて見たくない、なのになんで…
なんで私の目には姉が写るの?
いやだ、見たくないのに…
姉は精神鑑定にかけられ、精神病棟行きが決まった。
姉を見られるのは、今日が最後だろう、そんな気がした。
たぶん姉は、私とは面会しない。それにもう自殺する。
だから、姉が搬送されるその隙が、私にとっての、姉の最後の姿なんだ。
あぁ、姉がいる。
姉がいた、声を掛けなきゃ…
二度と会えないんだから。
私は声を振り絞った、
「姉さん、大好きだよ。今も昔も変わらない、私の大好きな姉さん」
その直後だったかしら、私は後ろから、誰かに殴られた。
いや、誰かじゃないね、誰かたち。
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